2008年に頻発した「犯罪予告」での逮捕ではなく、ネットの書き込みトラブルが原因で逮捕されたり、職場で懲戒処分を受けたりする例が発生している。最近の事例では、お笑いタレントのスマイリーキクチさんのブログで起きた名誉棄損事件や、ネット掲示板「2ちゃんねる」で起きた朝日新聞社員の投稿トラブルなど。また、会社員が運営する告発ブログが無罪から一転、名誉棄損の有罪判決を受けている。
<INDEX>
● 増加するネットの書き込みトラブル
● ブログの名誉棄損で立件/逮捕
● 勤務中の書き込みで懲戒処分~朝日新聞編集局員、市役所課長
● 公益目的のはずが名誉棄損に~会社員の告発ブログに有罪判決
● 暴走への危険を回避するには
<本文>
2月26日に発表された警察庁の資料によると、2008年に都道府県警察の相談窓口で受理したサイバー犯罪等に関する相談で、「名誉棄損、誹謗中傷等に関する相談」は1万1516件あり、前年より29.8%増加している。相談内容は、掲示板に自分を誹謗中傷するような内容が書き込まれていたり、自分の写真や氏名、住所等が無断で掲載されているが、削除させるにはどうすればよいかというもの。
その約1か月後に発表された法務省の2008年調査も、ネットの書き込みトラブルの増加を示している。全国の法務局などが昨年中に扱った人権侵犯事件で、インターネットを利用して行われたものは過去最多の515件となり、前年比23.2%増だった。目立つのは名誉毀損(176件)とプライバシー侵害(238件)で、ネット利用人権侵犯全体の約8割をこの2つが占める。他に、特定地域が同和地区であるとするなどの差別助長書き込みが19件あったという。
こうした書き込みトラブルの増大を背景に、ブログや掲示板の書き込みが原因で警察のお世話になったり、職場で懲戒処分を受けたりする例が発生している。昨年頻発した「犯罪予告」での逮捕ではなく、日常的な書き込みの延長上に、思いがけない懲罰が待っているのが特徴だ。最近の事例では、お笑いタレントのスマイリーキクチさんのブログで起きた名誉棄損事件や、「2ちゃんねる」で起きた朝日新聞社員の投稿トラブル等がある。また、名誉棄損で刑事告訴されていた会社員運営ブログが無罪から一転、有罪判決を受けている。
2月4日、ブログに書かれたコメントが名誉棄損、脅迫容疑で書類送検というニュースがネットを駆け巡った。殺人予告や爆破予告での逮捕は一部の跳ね上がりがやることで「またか」の感があるが、ブログや掲示板に書かれた暴言で警察が動くということは、自分にも起こりえることとして受け止められ、ネットユーザーの関心が集中したようだ。
問題のブログはお笑いタレントのスマイリーキクチさんのもので、2008年1月に開設して以来、毎日コメント欄に誹謗中傷が書きこまれ、殺害予告とも受け取れる内容にまでエスカレートしてしまった。書き込み内容は、キクチさんが女子高生コンクリート詰め殺害事件の犯人で、事件をお笑いのネタにした等の事実無根の思いこみに発するもので、「生きる資格ない」「死ね」などという暴言が書き連ねられた。
こうした誤解を根拠とした誹謗中傷は、ブログ開設以前、10年前からネット掲示板などで繰り返されてきたという。キクチさんは、事務所のホームページや自身のブログで書き込みの内容を否定してきたが、エスカレートの抑止には至らず、警察と相談の上、被害届を出すことを決めた。
警視庁は殺害予告ととれる書き込みをした川崎市の女(29歳)を2月4日に脅迫容疑で書類送検。3月27日には埼玉県入間市の男(36歳)ら男女2人を脅迫容疑で、同県戸田市の会社員の男(36歳)ら男4人を名誉棄損容疑で書類送検した。計7人が立件されたことになる。
2月の同時期、茨城県日立市の会社役員の男(41歳)がブログによる名誉棄損で逮捕されたというニュースも、ひとしきり話題となった。報道などによると、容疑者は自分が代表取締役を務めていたIT系会社を解雇され、その解雇不当を訴える裁判を起こす一方、2年にわたり100以上のブログを立ち上げて、その会社と関連企業の中傷を続けていた。ネット掲示板でも多数のスレッドを立てて会社役員や関係者への誹謗中傷を繰り返していたといい、中傷被害を受けていた会社経営者の男性が警視庁築地署に名誉棄損で告訴していた。
● 勤務中の書き込みで懲戒処分~朝日新聞編集局員、市役所課長
3月30日、ネット掲示板「2ちゃんねる」の鉄道関係の掲示板「鉄道路線・車両板」の複数スレッドで、投稿削除の表示として使われている「あぼーん」が大量に投稿された。この大量投稿は掲示板を荒廃させる、いわゆる「荒し」行為にあたることから、運営側は掲示板で発信元を公表し、そのIPからの書き込みを規制した。公開されたIPは朝日新聞社のドメインの1つ「asahi-np.co.jp」であったため、同掲示板内は騒然となった。
投稿者は同板の常連であったとみられ、同日夜には、他の投稿者との応酬のなかで差別語を使った罵倒がなされていたことも判明。外部からの指摘を受けた朝日新聞社は、社内調査を実施し、東京本社編集局の校閲センター員(49歳)を特定。本人が投稿を認めたため、翌31日にasahi.comに謝罪記事を掲載した。同社社員が社内パソコンから2ちゃんねるに、部落差別や精神疾患への差別を助長する内容を投稿していたことを詫びる内容で、同社広報部は「事実関係をさらに確認した上で、厳正な処分をいたします」とコメントしている。
同31日には、多治見市の男性課長(55歳)が、職務中に出会い系サイト等に書き込みをして処分されたというニュースも流れた。市によると、この男性は同市総務部に所属し、仕事とは無関係な出会い系サイトや株・競馬関連サイトに職場の公用パソコンからアクセスし、閲覧したり書き込んだりしていたという。人物が特定できる書き込みから発覚し、アクセス記録調査により、ほぼ1年前から頻繁に同行為が行われていたことが確認されている。
処分は停職3か月と1階級降格が行われ、上長らも監督責任が問われ文書注意となった。
● 公益目的のはずが名誉棄損に~会社員の告発ブログに有罪判決
思いこみや私怨による誹謗中傷で逮捕されたり、職務中の私的アクセスで処分されたりするのは、社会ルールを守るうえで誰もが了解するところだろう。だが、社会的意味をもつ告発を、公益目的で書き続けたブログが名誉棄損で有罪になるというのは、どうか。
東京都の会社員(37歳)が自身のサイト「平和神軍観察会」上で、全国チェーンの飲食店運営会社と右翼系組織「日本平和神軍」との関係を記述して名誉毀損罪に問われていた刑事裁判は、東京地裁の一審で無罪となったが(2008年2月29日)、東京高裁で行われた控訴審ではこれが破棄され、求刑通り罰金30万円の有罪判決が言い渡された(2009年1月30日)。
東京地裁では、被告が「(1)公共の利害にかかわる内容」について、「(2)公益目的によって」両者の関係を追及していたことを認め、さらに「(3)インターネットの個人利用者として要求される水準の事実確認を行っていた」ことを理由として、無罪判決を出していた。しかし、東京高裁の控訴審では、(1)公共の利害や(2)公益目的を認めつつも、(3)について一審が示した、ネットで個人が発言する際の新しい基準ともいうべき見解を認めず、有罪判決が出されている。
被告は、これでは問題のある企業、団体について取り上げている告発サイト等の管理人についても刑事罰が課せられてしまうことになると懸念。最高裁に上告して無罪判決を得、ネット上の表現の自由を守る判例を残したいとしている。表現の自由に関心をもつネットユーザーは、裁判のゆくえを注意深く見守る必要があるだろう。
逮捕や懲戒処分、有罪判決を受けた例を見てきたが、私たちは書き込みに際し、何に留意すればいいのだろうか。
<ネットの「嘘」に惑わされない>
女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人のひとりとして、スマイリーキクチさんの名がネットに書き込まれるようになったのは10年ほど前だという。誰がどのような目的で書き込んだのかは不明だが、ネガティブ情報の拡散は早く、嘘はあちこちの掲示板などへと広まっていった。
2005年には、元警視庁刑事の肩書を持つ作家が著書『治安崩壊』に、少年グループの一人がお笑い系のコンビを組んで芸能界デビューしたと記した。それが誰なのかまでは言及されておらず、文章も「~という」と伝聞形式で書かれていたが、これが噂話を裏付ける根拠として示され、デマに真実味を与えてしまった。「本に出てくる芸人って誰?」→「スマイリーキクチ」→「本当?」→「本にも書かれてる」。単純化すれば何の証明にもなっていないのだが、これに輪をかけた複雑なループがえんえんと繰り返され、見る人たちに本当のことらしいと思い込ませてしまった。
この事件を事実無根の誹謗中傷と片づけてしまうのは簡単だが、その背景をたどれば、嘘を書き込む人がいて、それが真実味を増していくロジックがあり、その結果それに踊らされて暴走してしまう人がいることが見えてくる。暴走には、後述の「心の隙」もかかわってくるだろうが、そこにあるのは単純な悪ではなく、被害者の側面もあり、ふつうの人が陥る危険があるということを心に留めておきたい。
<「心の隙」に入り込む、限度を超えた他者攻撃に自戒を>
ネットの噂が真実かどうかを見極めるのは難しいことだが、私たちがそう難しくなくできる対策はある。他者を限度を超えて攻撃することへの自戒だ。犯罪被害者擁護という絶対的正義に立ち、無反省とみえる加害者を攻撃することは、ある種のカタルシスをもたらす面があり、「生きる資格がない」「死ね」等という過激な言葉を使うことにも躊躇がなくなってしまう。そのような言葉はいかなる場面でも決して使わないと自戒したいものだ。
解雇された会社に対し、ブログを乱立して誹謗中傷を続けた会社役員についても、怨恨というだけでなくネットを使った他者攻撃の嗜癖のようなものが感じとれる。嗜癖は心に隙をかかえる人が陥りやすいものだ。ネットでの攻撃は被害が甚大になりやすいが、結局は同じような強さで攻撃する側をも傷つけることになる。他者攻撃という嗜癖に陥ってしまった人をどう救済するかは、その攻撃手段を与えてしまったネット社会の課題かもしれない。
<職場からのネット利用~「職」を背負う自覚を>
勤務中に不適切な場所へ不適切な書き込みをして処分を受けることとなった新聞編集局員や市役所課長についても、その基本には書込みへの強い傾注が見てとれる。市役所課長は、家庭内トラブルに悩み、肯定的に話を聞いてくれる出会い系サイトへの書き込みがやめられなくなったと告白しているという。頭ではわかっていても心が止められないのが嗜癖なので、いったんネットの書き込みにはまってしまうと厄介だ。しかしその場合も、職場からのアクセスは身の破滅と知ることは抑止力になるのではないか。
インターネットにアクセスすると、発信元の足跡がIPアドレスという形で残る。ネット環境の整った会社や組織では、使用するIPアドレスやドメインの情報が公開されているので、発信元は即座に判明する。職場からのネット利用は、常に会社や組織の看板を背負っているということを、忘れないでほしい。
<表現の自由と名誉棄損~危険回避の知恵を>
「平和神軍観察会」裁判については、一審が無罪、控訴審が有罪ということで、社会的告発(表現の自由)と名誉棄損の狭間で司法が揺らいでいるのが現状といえる。ここでネットユーザーが留意するべきは、社会的意味をもつ告発を公益目的で書いた場合も、プロのジャーナリスト並みの取材力で事実を押さえた言論でなければ名誉棄損になりえるという、高裁で示された見解だろう。この見解の妥当性はさておき、先人が教える轍をふまず、上手に回避しつつ、しかしながら委縮はせず、ネットの言論を守っていく知恵を持ちたい。
(文/現代フォーラム・熊谷)
【関連URL】
・平成20年における「人権侵犯事件」の状況について(概要)(法務省)
・平成20年中のサイバー犯罪の検挙状況等について[PDF](警察庁)