今、ブログや掲示板での発言に対して批判的コメントが集中する「炎上」や、発言者を集中して非難する「叩き」、気に入らない相手についてネガティブ情報を流す「誹謗中傷」などが頻発している。
インターネットコムとクロス・マーケティングがネットユーザー300人を対象に行ったリサーチでは、約8割が「ネットは怖い」と感じており、「どのようなときにインターネットは怖いと感じるか」という問いに対して約半分の人が「誹謗中傷」と答えている。
また、いわゆる「ネットいじめ」も猛威をふるっており、中高生を中心に警察への相談が急増している。2006年度の文科省の調査によると、全国の小中高校に報告された「ネットいじめ」は4,883件にのぼる。
トラブルを避けてネットならではの双方向を楽しむには、何に気を付ければいいのか。多数のトラブル事例から導き出された「ネットトラブル予防10か条」をお届けする。
<INDEX>
■ 知識をひけらかし、KY(空気読め)と袋叩きに
【対策1】参加前に「場のルールや傾向」をつかんでおく
■ サイトの種類によって異なる参加者や作法
・携帯サイト、携帯ブログ~若者が多い
・Q&Aサイト~回答者には専門職も
・趣味のサイト~レベルも目的もさまざま
【対策2】言葉遣いは周囲に合わせて
■ バイト先でゴキブリを揚げた~「不用意な一言」に批判集中、炎上へ
【対策3】「内輪ノリの非常識自慢」はご法度
■ 「あいまいな記憶」で掲載誌を間違えて発表~ブログ一時休止へ
【対策4】不確かな情報は書かない
■ 気をつけたい政治・時事ネタ~「代理戦争」を招かないために
【対策5】意見が分かれるネタは慎重に
【対策6】「成りすまし」「煽り」は見極めてスルーを
■ なぜ? 知識人どうしの批判合戦~ヒートアップの末、場外乱闘へ
【対策7】意見交換はしても「個人攻撃」はしない
【対策8】反論は「引用」を避け、自分の言葉で
【対策9】相手のミスはソフトに指摘、自分のミスには即謝罪
【対策10】決めつけずに「確認」を
<本文>
Aさんの趣味はワイン。ときどき立ち寄るワインがテーマのサイトで質問している人を見かけ、気軽に回答を書いた。その中に「このくらいは常識」と書いたことが反感を招き、「それが常識とは初めて知った」「知らなきゃ発言できないのか」「空気読め」「こいつKY」などといったレスが殺到。Aさんは思いがけない反応にショックを受け、その後、そのサイトには立ち寄れなくなってしまった。
もしそのサイトがワイン上級者が集う場だったら、Aさんの態度は不快なものとは取られなかったかも知れない。が、初心者やちょっとたしなむ程度の人も参加している場だったため、Aさんの態度は、自分の知識をひけらかす傲慢なものと受け取られてしまったようだ。
いま盛んに使われている「KY」という言葉は、その場の空気を読めない人に対してかけられる「空気を読め」という言葉が略されたもの。その場の空気~雰囲気や暗黙の了解を察し、周りに合わせることを求めるもので、その風潮はネットでも濃厚だ。むやみに周囲に同調することを求めるKYはいただけないが、顔や姿が見えないネット社会では言葉がすべて。その「場」に適した話し方は、参加者に求められる重要な条件といえる。
【対策1】参加前に「場のルールや傾向」をつかんでおく
多くのネットコミュニティには、「このサイトについて」「参加規約」といった、サイトの趣旨やルールを説明するコーナーがある。つい読まずにすませがちだが、参加前に一度は目を通しておきたい。また、参加メンバーや書かれている意見をチェックすれば、そのサイトならではの傾向が読み取れるもの。いきなり参加するのではなく、まず落ち着いて内容を読み、意見や話題の方向性などを把握しておこう。
接続方法(携帯かPCか)や接続時間帯などにより、サイトに参加しているメンバーの年齢にも傾向がある。一般的な各種サイトの傾向と対策を押さえておこう。
・携帯サイト、携帯ブログ~若者が多い
データシグナルの調査によると、携帯電話を「掲示板やSNSへの書き込み」に使用するのは10代~20代の若者に多い。携帯サイトの参加者は比較的若年層が多い可能性がある。
・Q&Aサイト~回答者には専門職も
質問に対する回答を得る目的で集まるため、質問→回答→質問者からコメントが済んだらそれ以上の応対はしないのが基本。また、詳細な回答を書き込んでくれるユーザーは、専門職についている人や、それなりの経験を積んだ社会人である場合もある。礼儀正しく接すると、よりよい回答を得られそう。
・趣味のサイト~レベルも目的もさまざま
一見、趣旨の似ているサイトでも、その内情は多種多様。たとえば「ジャズファンのサイト」でも、あまりジャズを知らない初心者の参加も歓迎する雑談サイトもあれば、同程度の知識をもつ人々が情報交換に集うサイト、プレイヤーも参加する高度な内容のサイトなど、さまざまだ。しばらくROM(Read Only Member:読むだけの参加者のこと)として参加してみるとよい。
【対策2】言葉遣いは周囲に合わせて
言葉遣いが違うために、発言の内容以前に、書き込んだ言葉が周囲から浮いてしまうことがある。たとえば、若者が多い携帯サイトで、皆がくだけた調子の軽い言葉で語り合っているときに、堅い教科書風の言葉で入ろうとしても、場は白けてしまう。逆に、真面目なテーマで議論している場へ、親しみを込めるつもりで、いわゆる「2ちゃんねる用語」「ギャル語」などを交えて発言しても、首を傾げられてしまうだろう。周囲に耳を傾けて欲しければ、同じ姿勢で場に臨むほうがよい。
■ バイト先でゴキブリを揚げた~「不用意な一言」に批判が集中、炎上へ
昨年12月、mixiの日記に、「ケン〇ッキーでゴキブリ揚げてた」という趣旨の書き込みがあり、コメント欄が炎上。巨大掲示板にスレッドが立ち、バイト先の企業を巻き込む騒動になった。書き込んだ高校生はバイト先のケンタッキーに謝罪した上、通っていた高校も自主退学することとなってしまった。
うかつな発言に批判コメントが集中し炎上する騒ぎは、他にもひんぱんに発生している。「バレーやバスケは先がない」と発言したプロゴルファー、「被災地視察」を「珍道中」と表現した代議士、mixiの日記でキセルを告白した大学生、マクドナルドで注文もせずに無線LANだけ使わせろと主張した男性…炎上例をあげればきりがない。
最近、人気ポップ・シンガーの倖田來未さんがラジオ番組で「35歳を過ぎるとお母さんの羊水が腐る」と発言して批判を招いたが、この騒動もブログ炎上の事例と重なるところがありそうだ。「不用意な一言」が、多数の正義感を刺激し、怒涛のように批判が集中してしまう。
こうした騒動を招かないためには、不用意な発言をしないことに尽きる。ネットに書くということは「誰でも読める」ということであり、個人情報を書いている場合は容易に突き止められて、退学や退職など想像以上の社会的制裁を受けることにもなりかねない。
【対策3】「内輪ノリの非常識自慢」はご法度
自分の部屋でパソコンに向かってキーを叩いていると、限られた人数で個人的な雑談をしている気分になってしまいがち。ゴキブリ話もキセル告白もいわば非常識(悪事)自慢で、仲間内なら見逃してもらえるかも知れない。だが、ネット上の書き込みは大量に印刷して不特定多数に配るようなもの。送信し公開する前に「見知らぬ人がこれを読んだらどう思うか」という視点で読み直すことをお勧めする。
■ 「あいまいな記憶」で掲載誌を間違えて発表~ブログ一時休止へ
人気声優のHさんが自分のブログで、インタビューを受けた掲載雑誌の号を間違えて書いてしまった。「買った人に迷惑だったのでは」というコメントが付くなど大きな波紋が広がり、Hさんは「このブログを運営する自信がない」と、ブログの無期限休止を告知した。その後、何十万件にも及ぶ反響があったといい、励ましの言葉に元気を取り戻したHさんはブログ再開を約束している。
ちょっとした記憶違いは誰にでもあるし、あいまいなまま伝えてその後訂正することも日常ではよくある。だが、多くの人の目にさらされるネットでの書き込みは、「放送や出版と同じ」面がある。出版は間違いがないよう校正を繰り返すが、そこまではいかなくても、あいまいな記憶のまま書いてしまうことは避けたい。
【対策4】不確かな情報は書かない
自信のない知識は調べてから書き込む。調べる時間がない場合や、そこまでする必要を感じない場合には、不確かな知識であることを明記しておく。また、自分では知っていると思うことでも、ネットに公開する前にもう一度確認することをお勧めする。信用を落として挽回に苦労したり、炎上してしまったブログを鎮火することを考えれば、確認するひと手間など小さなもの。
■ 気をつけたい政治・時事ネタ~「代理戦争」を招かないために
2006年9月、皇室の親王誕生に関し、ある著名ライターがブログに書いた「ひとつの命の誕生がめでたいのか、男児だったからめでたいのか」という文章に批判が殺到し、翌日に書いたお詫びの文章にも批判がやまず、冷やかしや擁護も含め数千ものコメントが集中した。この文章それ自体には前掲のような反社会的なものは見当たらないのだが、なぜ炎上を招いたのか?
ある著名ブロガーはこの炎上について、「地球市民的価値観」と「伝統的皇室の価値観」の食い違いから起きた「代理戦争」と評したが、なるほどと思わせる。政治、時事ネタ、宗教など、解釈や主義主張が分かれる話題は、お茶の間の議論なら収まりもつくが、ネット上となると「代理戦争の場」になりかねない。
エチケット本などでは、初対面の人が会話するパーティやお見合いでは「政治と宗教の話題はご法度」とされる。不特定多数に情報発信するネットでも、これらの話題は取り上げないというのも賢明な方法だ。だが、せっかく不特定多数と語り合えるのがネットの特性なのだから大いに議論したいという人もいるだろう。その場合は、ベテランでも冬山登山には細心の注意を払うように、慎重に取り組むことをお勧めする。
【対策5】意見が分かれるネタは慎重に
「さまざまな考えがあると思うが、冷静に語り合えたらと思う」などと自分のスタンスを明らかにしたうえで話題にする。議論がヒートアップしたり中傷誹謗合戦に変わったりしないよう、できるだけ予防線を張っておく。ブログならコメント欄を承認制にする、あるいはコメント欄を設けずトラックバックだけにするなども検討を。
【対策6】「成りすまし」「煽り」は見極めてスルーを
ネットでは発言している相手が見えないため、誰がどういう発言をしたのか、はっきりしない。ネット掲示板などで自分の意見に大量の否定的なコメントが付いたとしても、発言の数だけ反対派がいるわけではなく、同一人物がハンドルネームや使用端末を変えて、何度も反対意見を書き込んでいる「成りすまし」かもしれない。一つの意見に、多数の反対意見が書き込まれたとき、文体や文章を変えているだけで同じような意見がないか、同一時間帯に似たような意見が大量に書き込まれていないか、チェックしてみよう。
また、議論の場には、揶揄や揚げ足取りで中傷合戦に持ち込む「煽り」も横行する。誹謗中傷に反応する姿を周囲に見せつけ、相手の人望を失わせたり、場を荒らすことが狙いだ。熱い議論には愉快犯的な煽りが入ることもある。「成りすまし」や「煽り」は冷静に見極め、レスを付けず読み流す(スルーする)ことをお勧めする。
■ なぜ? 知識人どうしの批判合戦~ヒートアップの末、場外乱闘へ
昨年11月、ブログを舞台に知識人どうしの批判合戦が勃発した。大学院の教員であるA氏が、個人ブログの記事にコメントをつけた投稿者に対し、B大学教員のB氏であることを割り出して実名を公開。「イナゴ(炎上ネタにコメントを寄せる投稿者の俗称=ネットイナゴの略称)」「間抜け」などと書いた。これに対しB氏は自身の個人ブログで反論し、両者にらみ合いの形となった。
このやり取りを読んだC大学教員のC氏は、A氏が「イナゴ」「間抜け」と書いたことに対し、名誉棄損が成立するのではないかと自身のブログで指摘。A氏はそのような記事を書くことこそ名誉毀損にあたるとして、「記事を削除しなければC大学に通報する」という内容のメールをC氏に送付。C氏はこれに応じずA氏のメールをブログで公開した。A氏は自身のブログでC氏を批判するとともに、C大学学長宛ての公開質問状を掲載、学長宛てメールも送付した。火の手は、何の関係もないはずのC大学にまで広がってしまった。
批判合戦の迷宮は、インテリといえども一度迷い込むと、なかなか脱出は難しいもののようだ。迷い込まないためにはどうすればいいか。多数のネットトラブルから先人が学んできた知恵として、次のようなことが語り継がれている。
【対策7】意見交換はしても「個人攻撃」はしない
意見交換と個人攻撃は違う。相手の意見に反論していると、意見に突っ込んでいるつもりが、人格批判になってしまうことがある。感情にまかせて「馬鹿」「稚拙」などといった言葉が出たら赤信号。自分を制して書き直しを。
【対策8】反論は「引用」を避け、自分の言葉で
反論は、一度相手の意見を受け入れてから意見の相違として書く。「そういう考えもあるかも知れないが、自分は…」といった具合い。反論のみよりも受け入れられやすい。また、反論時に相手の意見を引用してコメントを付けていく形は避けたほうがよいとされる。相手の意見を真っ向から否定した形になり、受容されにくくなるためだ。コメントを付けている間に全体のニュアンスがつかめなくなり、反論自体が的が外れたものになる傾向もある。
【対策9】相手のミスはソフトに指摘、自分のミスには即謝罪
正しい指摘をしたはずなのに言い方に反感をもたれて、ネット上で言い合いになることがある。リアル社会でもよく見る風景ではあるが、端から見れば「どっちもどっち」。相手の間違いを正すときは理解してもらえるように表現に気をつけて。逆に受けた指摘が正しければ、面子などにこだわらず、すぐ謝罪を。
【対策10】決めつけずに「確認」を
語感だけで判断してしまうと、相手の考えを正しく汲むことができない。自分の発言が原因で相手が怒っているように見えたら、ホントにそうなのか相手に確認してみよう。感情的なものだけでなく、意味が二通りに解釈できる言葉なども、その意図を相手に確認してみたほうがいい。相手の考えを問うことで、言葉のニュアンスなどから生まれるすれ違いを避けることができる。
* * *
インターネット上のコミュニケーションではお互いの姿が見えない。現実社会なら、発言に添えることができる声や表情、身ぶりなどがない。自分の考えや人格を伝えるのは文章のみで、その文章で失敗してしまったら、真意や意図を汲んでもらう以前に、炎上や祭りなどといった形で、発言自体を阻まれてしまう。
では、ネット上で文章に失敗しないということはどういうことだろう。それは「正確で巧い文章を書かなければならない」ということではなく、「顔の見えない不特定多数の心に届く文章を書かなければならない」ということではないか。相手の心を損なうことなく、自分の考えを正しく伝える文章を書こうと心がけることが、ネットを通じて多くの人たちと良好な関係を築いていくための第一歩なのではないだろうか。
(執筆:現代フォーラム/山口)